カメラを買っちゃえ
スマホを忘れ、カメラを壊し、
写真が撮れなくなってしまったので
カメラが欲しいところ。
かけられる金額としては1万円(100 USD)までだろうな
中古品でもいいので。
フロントに聞いたら、
「中華街ならこの時間でも売ってますよ」
ということなので、夕食を兼ねて出かけよう。
気に入ったカメラは、どれも150ドル越え。
カードも使えるし、買っちゃうか ということで購入。
(言い値で買っちゃったけど、大丈夫なんだろうか?)
チャイナタウン、インド人街を歩いてみる。
ものすごい活気に気圧される。
昔のバンコク以上じゃないか?
ミャンマーの人は、平気でジェイウォークするし、危なくて見てられない。
いそいそとホテルに引き上げるのであった。
ホテルに戻ると、ポータは皆
「カメラは買えたのか?」と気遣ってくれた。
ありがとう、みんな!
購入したカメラを価格コムで調べたところ、
型落ち品で、日本ではもう売っていないが
一年前の最安値とほぼ同じだった。
人はミャンマーにたどり着く
山を下り、昼食は昨日とは違う中華のレストラン。
運転手が、「ここで待ってる」
と言うので
「お腹すいてないの?」
と聞いたら、
「すいてる」
というので、当然ご馳走する。
客層は、お坊さんが食事していたほか、タイ人が多く
西洋人と、日本人と日本語でしゃべっている人も。
ずいぶん日本語がお上手なミャンマー人で。
話は聞かなかったことにするよ。
世間の波に揉まれ
計画的に、日本でいつも食べているのと同じくらいの時間に
ゲストハウスの食堂で夕食を採る。
空はまだ完全に暗くなってはいないが、
結構な頻度で停電があり、ガイドブックに
懐中電灯必携と書かれていた意味を理解する。
真っ暗な店内、注文したのは
タイガービール、緑茶のスープ、
オムレツ、トマトサラダ。
「タナカ(thanaka)」という白粉を塗った店員さんは、
良くも悪くも外国人慣れしており、
すれているというのか
一般的なミャンマー人とは違う人あたり。
電灯が復活。
味は、結構おいしいんじゃないでしょうか?
お会計、400円くらい。
今までの金額は何だったのかというくらい安い。
おつりまできっかり渡そうとするので、
細かい紙幣は、チップとして持たせた。
目指す目的地
ゴールデンロックの宿を予約しようとしてメールを出したが、
返事が来ない。
まあ、オフシーズンだからガラガラでしょう。
翌朝、運転手が迎えに来る。
雨が降ったり晴れたり。
190キロの道のり。
途中、ガソリンを入れたりしてから
アジアハイウエーを飛ばして、まずはチャイトーへ
運転手が、中華料理と言っていたが、
どう考えてもタイ料理の味。
ホテルから返信が来る。
「あいにく満室です」と
あわてて、山頂にある他のホテルもすべて当たってみたが、
3軒とも満室。
運転手も首をかしげていた。
無計画な旅にトラブルはつきものなので、
やむなく、麓のバンガローに泊まることにした。
写真を撮って欲しいからガイドをつけられないかと受付で相談したが、
山頂の警察官に撮ってもらえばいいとか言われて要領を得ない。
運転手が、それじゃあ僕も近くに泊まることにするから、
明日一緒に登ろうと言ってくれた。
すごい迷惑をかけちゃってるなと思い、100ドルを渡す。
序 - 三度目の正直
今年は2011年の旅行のリベンジ編。
少しでも長く、外国気分を味わいたい私は、普段なら日系のキャリアは使わない。
アジアに行くにしても、歳を重ねるにつれて旅先での旅情にも人情にもだんだん不感症になってしまってきている。
日常の風景を一変させるようなハードな旅がしたい。
とは思いつつ、乗り継ぎの時間ももったいないので、直航便で行ける目的地を探して、結局ミャンマーに落ち着いた。
お盆真っ只中、成田-ヤンゴン 10万9千円
ミャンマーは、1994年にも目指したことがあり、政情の悪化で断念した。
今回は、三度目の挑戦。
過去二回はメーサイ-タチレイの国境越えを計画していたけれど、
今回は直接ヤンゴンに乗り込むので、余程のことがない限り入国できるはずだ。
エピローグ
帰宅後、いつものコメダ珈琲でこの文章を書いている。
すばらしい非日常を過ごすことができた。
全くトラブルのない旅だった。
強いてトラブルをあげれば、モバイルWifiルータの帯域を使い切ってしまって、画像のアップロードができなかった点だが、無事に帰ってきてしまった今となっては、意味のない心配だ。
前から一度行ってみたかったラテンアメリカ。その中でも、難易度の低そうなメキシコに行ってみたが、行ってみて気づいたのは、スペイン語が話せないとどうにもならないということ。
今から新しい言語を覚えるのは大変そうだけど、帰ってきて最初の晩は、
夢の中でスペイン語であいさつしていた。
近年の旅行では、あぶなそうなことにはチャレンジしなくなってしまっている自分がいる。
冒険者としては、落第点だね。
とらえ方を変えると、大人の楽しみ方を知ったということなのかな?